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■江戸〜明治に活躍した林永流現証哲学(創始者 林文嶺・永杜鷹一)

   「運命の哲理」永杜鷹一著作より抜粋。

林文嶺・永杜鷹一

この人物と、書籍を

紹介したいと思った動機

・いまから70年前に、ダーウインの「進化論」の虚実を見抜き、
 マルクスの「資本論」の非現実性を見抜いていた偉大な哲学者、
 しかし、後世に名を残せなかった人物が、日本には、いました。
    
 日本の国立大学では、いまから、20年前でも、ダーウインの進化論を教える教授がいたり、
 マルクスの資本論を教えることが大学でのステータスだった時代です。     

 私も、大学のレポートで、無理矢理試験管の中で、アミノ酸が変化して、
 
生命を生み出すシステムをレポートさせられた経験があります。

 マルクス経済学のほうが、大学の予算がでるので、教授達はこぞって、
 マルクス経済を研究していました。

 
なんか変だと感じながら、大学の教授が言うのだから・・・と、無理に納得していました。
 当時の私には、その虚偽を見破る能力はありませんでした。     

 この林文嶺・永杜鷹一 という人物の、物事の真髄を見抜く眼力は、
 TVに出演している、今の大学の先生、専門家などとは、比べようもないと思います。     

 今の時代も、明治維新と似ています。
 江戸幕府崩壊後、主権在民に切り替わった時代が、明治維新です。
 今の時代は、主権在民から、ふたたび、変化しようとしています。
 これからの、時代を生きぬいていくためには、どんな学者、専門家も、信用できません。
 まして、新聞や雑誌やTVなどは、視聴率や売り上げだけを気にする人気稼業です。
     
 さて、郵政民営化の問題で、国会も解散になりました。
 国民1人1人の責任が大きくなってきています。
 将来を見据えた、選挙の1票を、するときです。無関心は無責任です。

 

 

姓名判断で一躍有名になった

熊崎健翁の師

昭和初期の頃、姓名を画数になおし、姓名学として、世に発表したのが、熊崎健翁です。

現在の、姓名学は、すべて、これがもとになっているように思われていますが、実は、明治時代に、活躍した、林文嶺と永杜鷹一という2人が開発した、現証哲学の一部を、熊崎健翁が応用してビジネスにしたわけです。

しかし、熊崎健翁が、ちゅう心道教という宗教法人をつくり、利益獲得に邁進しはじめたころに、永杜鷹一は、縁を切っている。

★「運命の哲理」という、永杜鷹一氏の著作をみれば、そのいきさつが詳しく記載されています。一般には、知られていない名前ですが、この林文嶺と永杜鷹一が開発した「林永流現証哲学」は、かなり、レベルの高いもので、当社の運命学にたいする取り組み姿勢と酷似していますので、紹介したいと思います。

林永流現証哲学の人脈

運命の神と呼ばれた林文嶺には、勝海舟・山岡鉄舟・佐久間象山・吉田松陰・などと交友があり、明治維新のときに、思想的な活躍をしたようです。

また、明治の時代に、西洋の学問が導入されたとき、ダーウインの進化論などを偽物だと見抜き、いたづらに、西洋の文明を崇拝する風潮に警告を慣らしたようです。

さらには、マルクスの唯物論も、偽物だと見抜き、昭和の初期には、警告を発しています。

いまから、70年以上も、昔のことですが、鋭い眼力であったことがわかると思います。

*私(天野雲海)も、大学は生物学科だったのですが、この進化論を教えられました。
 まあ、くだらない理論です。人間が、サルを1億年飼育したとして、そこから、新しい人間が、突然変異で誕生するわけありません。
 現在の生物学では、こんな進化論などは、教えません。
 ある明確な意図と意志によって、DNAが組み替えられたのが、実際のところです。
 試験管のなかでは、アミノ酸を、変化させて、意志をもった生命など作り出すことはできません。

精神生活とは?

人生における意義と価値を認識していく生活のこと。毎日をぼんやりして、生きることは精神生活ではない。

統一性を有する自律的に、創造的に、行動をして、改善・進歩・更新をする努力をすることが、精神生活。

意義と価値は、その過程で、自然に、生じてくるものであり、最初からあるものではない。

直感とは?

思考とは、間接的に物事を知ることであり、学校でやる学問の段階であり、未完成の段階の行為である。

それにたいして、直接に、物事を知ることを、直感または、直覚という。

経験と学問の上に成りたつ直感は、完成した行為である。

*運命学で分からないことがあれば、命式と、本人に聞け!これが最大の学習方法である。と、私(天野雲海)は思う。

林永流現証哲学とは?

易・四柱推命・相学・姓名学・蘭学・英学に通じ、それらを一定の統一された思想で、自由に操ることができる哲学を言う。

現実生活が、それによって、良くなるはずであり、良くならないのは、道を誤っているからである。

林永流現証哲学を学習する以上、貧しいものは、豊かにならなければ、学習したことにはならない。

*運命学を学ぶ以上、年収が2倍にならなければ、意味がないと思う。
  貧乏している人は、道を誤っているだけだと思う。
   得することだけ、考えている人が、結局は貧乏になっているようです。
と、私(天野雲海)は思う。

東洋人の不幸

シナの青年達が自国の尊い伝統を忘れて、西洋の新しい文明を追いかけ、外国を漁っているのは気の毒である。

日本はそうではないと言いたいが、自信と自覚を失いつつあるのが、心配である。

東洋人の不幸を救済するのは、日本古来の、神学である。

日本がひとたび立てば、世界に大きな渦がまく。東洋は世界の生命線である。

東洋の古典を見直すとき、世界の心の淵源があり、命の復活がある。

*アメリカのグローバリズムが本当に良いのか? 拝金主義のようなシステムが良いのか? 
 日本の技術ある会社をやすく、アメリカのハゲタカが買いたたくための、システムではないのか?
 いい加減に、ドル崇拝をやめて、アジア共通通貨をつくるくらいの、政治の動きが欲しいものである。

中国(シナ)の文飾

シナの諸賢は、事物を発明するや多くは、その文飾を盛んにし、これを峻言して、古聖にたくし、高尚の趣をたくましくする。

その目的は、原理を隠すことである。

なんでや?世人をして、深くそのことを尊敬、信じせしむる策があるのみである。原理は、おおむね平易にて、劇傍を憂い、恐れた。

*中国の原書というのは、やたら難解であるが、これは、平易な部分を隠すために、策をしているだけである。というのは、私の経験からも言えることです。

専門地獄の危機

東京の目抜き通りの専門店をまわったとき、過去何百年も伝統のある専門店の主人がいかに、人格がないかということをしった。

全人格という観点から、専門家をみるとき、果たしてまっとうなのか?工学博士などの衆智をあつめ、世界最新という飛行機を開発し、離陸した瞬間に片方の車輪が壊れ、緊急に着陸したというニュースがあった。
いっぽうで、陸軍・海軍の飛行機にいったっては、各整備士が短刀を懐に秘して、整備をした。万が一、自分の整備し戦闘機が故障した場合には、陛下に対し、国民に対し、申し訳ないので、殉死の覚悟で整備をした。そのかいあって、機械に故障があって、使命をまっとうできなかった話しは聞かない。

同じ専門家でも、結局は、責任感の強弱によって結果の善し悪しが決定される。

*運命学を技術の面から、考えるとき、運命学を使う以上、結婚できない人には結婚を、収入がない人にはお金を、という責任感を占い師がもてば、ただしい、結果がついてくるはず。つまり、相手の命に対する、責任感の強弱だけが、問題である。と、私(天野雲海)は思う。

家康の言葉

一番、まずいものは、なにか? 塩である。 それでは、一番、うまいものはなにか? 塩である。

秀吉の言葉

もっとも多きものはなにか? 人間である。 それでは、最も少ないものはなにか? 人間である。

聖典は、東洋思想である。

西洋に聖典はない。

東洋の思想は、一体両観、こまごましたところから、おおづかみなところまで、一貫して、物事を考えることができる。

まさに、From Anchor to Coffin つまり、錨から棺桶まで、何でも、一切のことに応用がきく。

こんな便利なものごとをする見方は、西洋にはない。 西洋は、どこまでも、理が分岐していく。

 

運命人の開放が、

林永流現証哲学の目的

 

運命学は、宿命論的にいわれることが多い。そういった、呪縛から、人間は解放されなくてはいけない。

運命からの開放が、 林永流現証哲学の目的である。

*運命学を学ぶ目的は、運命学を捨てることにある。
  運命学を知らなくても、直感で正しい道を選択できれば、それで良いのである。と、私(天野雲海)は思う。

運は天にあらず

自己にあり

運が天にあるという言い方をしたばかりに、何世紀もの間、運をつかむために、人間は余計な周り道をした。

運は天にあるのではない。内なる自分にあることに気がつくべきである。神などもちださなくても良い。

神も迷惑だ。

運は、自分にある、自分を代表するのは顔である。よって、顔をみれば、その人が分かる。とくに、40才を越えれば、顔が全てである。

道を間違っていなければ、顔は良くなる、顔は造化最高の芸術だからである。

*命式が悪いから運が悪い、姓名が悪いから運が悪いという、ぼやきを多く聞きます。
  運が悪いせいを、天のせいに、しているわけです。
  こういう発想の人が、開運できるでしょうか?と、私(天野雲海)は、鑑定しながらいつも思う。

人相の十宮論

 

      額を天 鼻を人 顎を地とする

1.命宮(印堂)
 凛質・胎教・生まれた動機などの後天運。生命力の源。精神。

2.財帛宮(鼻)
  衣服は人の用にして財帛は人の礼具である。生命の次に大切なもの。

3.兄弟宮(眉)
  弓のまがり具合の大きいのが男性的。

4.田宅宮(眉下、両目を含む)
  精神が平穏であるか?安心立命の暮らしができるか?
  大胆か小心か? 血色と大きさで見る。

5.男女宮(目の下)
   鮮明かどうかでみる。性器が乱脈状態か? 美麗か?

6.奴僕宮(あご)
  人に使われる場合、人を使う場合の商売運
  肉が豊かで頬がこけていないこと。痩せてこけている人は不安がち。

7.配偶宮(夫妻宮)(めじり)
  豊隆をよろこび、乱文、腐色に安楽なし。

8.疾厄宮(目と目の間)
  抵抗力・防衛力を意味し、美麗でくぼみがないのを吉とする。

9.遷移宮(こめかみ)
  過ちをごまかそうとする心根か、過ちを認める人か?

10.官禄宮(前額の中央)
   両親に満足しているかどうか?

面中正人形の秘伝

面中正人形の秘伝

眉にあざがあれば、腕にも障害がある。

遷移宮が青黒い場合、手も異常がある。

眼の周囲がシミがある場合、食毒である。

命宮の幅が狭いものは、胸と腹に動がある。

鼻の血色が悪い場合は、腰が悪い。

奴僕の汚れは、尻や下半身に病あり。

心の中は、眼に反映される。

 

いささかでも、運命観のうえに、宿命的な窮屈を感じた場合、その感じたこと自体を重大なる造化の天啓である。その天啓は、呪縛ではなく、開放の世界へはいる絶好のチャンスである。ねがわくは、好学の諸君には、日々の思索と実践とに奉行され菩薩の業績をあげられんことを心から願う。

四柱推命学の書籍

だいたいにおいて、四柱推命の書籍で直接的で簡明なるものはみない。難解のひと言につきる。それらは、著作者自身も、あえてよむほどに、分からなくなってくるというのが、四柱推命の研究者の嘆きである。しからば、四柱推命は、それほど難しいものであるか?否である。

それにしても、よくも、あつかましく、得たいのしれないはかっていないものを、難しくかのように編集する器用な、学者ばかりそろっているものだと関心する。

理論は学校教育でやるものであり、四柱推命学は、社会で実践のためにやるものであるから、実践しないと分からない。

これは、気象学者が、天気予報ができないのと同じであり、万巻の書が頭にたたきこまれていても、実践では勝利できない。

天・人・地の姓名学

宇宙の実在には必ず天地左右、表裏内外があります。天は陽にして、地は陰であり、陰陽が和して人となるのは、万象共通の理である。

天格は、その数の霊意は直接は、影響を与えないが、人格との対象において、成功、不成功を影響する。

人格は、最も重大なもので、観相学でいう、人相の命宮、四柱推命学の日干、占星学の太陽星座に相当する。

地格は、青年期に作用し、総格は中年から晩年に作用する。

天格が1または2 : 人格が1または2 なら、成功順調・希望平安に達する。と、熊崎式ではいうが、こんなことはない。

上手の手から水が漏れている。男は、勝負に負けて孤独におちいり、女は、いわゆる牛を売り損ねる。

*天格と人格が同じ画数の場合は、比肩・劫財の運ですから、長所は、行動力があり、負けず嫌い。成功する場合は、大成功。
 しかし、身分相応でないことをするため、破産、借金過多、未亡人になりやすい。
  と、私(天野雲海)、も思うので、熊崎式は確かに、水漏れしている。

姓名の哲理は

永杜鷹一が編集した

五聖閣とか熊崎式とかという名前が、いろいろな雑誌に登場するようになって、いつのまにか、熊崎健翁は、大家になってしまったようだ。

しかし、その理は、易や四柱推命学などと、統合して使える理ではない。林永流が本来目指したものではない。

「姓名の哲理」熊崎健翁が、発表したが、その編集は、 永杜鷹一が6年間にわたっておこなったものである。

自由自在の

林永流姓名学

人格を主体とし、天格を対象とした場合。・・・人格から天格をみる。・・・向上の誠

人格を対体とし、天格を主体とした場合。・・・天格から人格をみる。・・・向上の恵み

人格を主体とし、地格を対象とした場合。・・・人格から地格をみる。・・・努力の華

人格を対体とし、地格を主体とした場合。・・・地格から人格をみる。・・・効果の賞

その人の価値観や環境におうじて、見方は、自由にその場で決めて良い。決まり事といったものはとくにない。

画数の意味

風格看破の法

1:表面は穏和冷静にして、徳を有し理性に富むも、内面は不屈の精神があり、猜疑心を有する。

2:不動。忍。陰。縁の下の力持ち。辛抱つよく自己の根拠をつくる。温柔だが、内面は執拗で偏屈。嫉妬心。

3:燃える火のごとく、活気旺盛。急進的。敏腕にて達識。癇癪持ちの性癖。権力を欲し名声を好む。

4:外観は静穏で沈鬱。しかし裏面は急進的な性格も有する。知力が深く、敏腕にて弁舌に長じる。

5:内は剛情の性だが、外は温厚の雅量あり。同化力に富み、親しみ安く、沈着不動にして、上に愛護される。ときに、強烈に反発。

6:剛健で敏腕。または鈍重で愚劣。人によって変化あり。名を好み、情を喜ぶ。猜疑心、嫉妬心ある。

7:同化力が鈍く鍛えたる刀剣のごとく鋭利。うてば、釈然となる気概があり、不屈で果敢。虚栄の精神があり。権を好む。

8:ぼくとつで剛毅。かたき意志の心にして頑固で融通がきかない。社交が円滑にならず、不和論争を引き起こすが、耐久力あり。

9:活動旺盛にして、寸刻も静止することなく動いている。淡白なるも、一面気移りが多し。理性発達し、謀略に富む。財と権を好む。

10:井水のごとく、湖水のごとく、極めて沈静の性情。才知あれども活動の性能を欠き、辛抱強いけれど、停滞の象。

*書籍には、これが、甲から癸までに相当するとは書いていないが、四柱推命を研究した諸君なら、十干に相当することくらいは、容易に推測できるでしょう。

 当社の「新姓名学大宝典ソフトウエアも、この「姓名の哲理」に記載されている内容と良く似ています。

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