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紫微斗数推命とはどんな占星学か?


 紫薇斗数推命(しびとすうすいめい)は、今から数百年前に中国の『陳』という道士によって発明された、格式ある東洋の占星学です。
 四柱推命よりも、心の動き、深層心理を分析するのに優れていることから、カウンセリングやセラピー、心理コンサルデイングなどの分野で広く使われることが多いようです。


 わたくしは、恋愛の相談ごと、結婚の相談ごと、生き方の相談ごとなど、心の問題を扱い場合には、この紫薇斗数推命を必ず使用するようにしています。なぜならば、本人の心の状態がレントゲン写真のようによく分かるからです。四柱推命は、その人に対する社会的な評価というのが占いの基準になっていますから、このあたりが決定的に異なる部分です。

 この紫薇斗数推命は、実は古代中国の神話『封神演義(ほうしんえんぎ)』に登場する人物が、紫薇斗数推命の中に登場する星として扱われており、紫薇斗数推命をいち早く習得するためには、この『封神演義』という神話をよく知ることが、一番の早道ということになります。

 では、この『封神演義』という歴史的史実に基づいた神話とはどのようななのか、そのあらすじと、主な登場人物の性格と行動、そして紫薇斗数推命の星との関係を分かりやすく紹介するとしましょう。

 まずはあらすじですが、今から3500年ほど昔のこと、古代中国における殷国の最後の王は、紂王(ちゅうおう)といいます。紂王は元は立派な王でしたが、それまで30代栄えた殷国を、たった1代で破滅の道に導いた悪名高き王になったのです。
 紂王は、妲己(だっき)という若き絶世の美女(実は千年狐狸)に魅せられ、愛妾として迎え入れましたが、妲己の妖術にはまり、生き魂を抜かれ、国の全ての財産を自分の色欲と放蕩の末に、すべて使い込んでしまったのです。

その行動を表現して、『酒池肉林』という言葉まで誕生したほどです。

 そして、その悪行や淫乱な生活を非難する有能な忠臣たちを、妲己や悪大臣費仲(ひちゅう)の策略によって、次々に抹殺したり、投獄したりしたのです。
 あまりに壮絶な殺りくを成したために、民衆は恐怖におののき、各地に散っていくありさまでした。

 殷の四大諸侯の一つ、西伯侯の姫昌(きしょう)という人物が、そんな殷国の惨状を目のあたりにして、殷国を打倒するために立ち上がったのです。

姫昌はかつて、費仲たちの陰謀により、七年の幽閉生活をしますが、後に文王と名のり、周国の初代王になった、伝説的な知的に優れた人物です。文王は、幽閉中に天界より啓示を受け、易を体系化したので、中国占星術の始祖とも呼ばれているのです。

 その文王が殷国を征伐するために、宰相として迎え入れたのが、殷国で紂王に仕え、軍学・占学を指導していた姜子牙(きょうしが)でした。姜子牙は、妲己との戦いに敗れ、一人山奥で魚釣りをしながら、来るべき時にそなえ仙人修行をして過ごしていました。

 この姜子牙のことを別名「太公望」と呼びます。姜子牙を宰相と迎え入れて後、文王は使命半ばに病死するのですが、その意志を息子の姫発、後の武王が引継いて、才能あふれる人材を次々に採用しながら、殷の勢力に加えて立ち向かっていったのです。

 周国の軍隊は、殷国に比べて、あまりに小さく、弱い勢力ではありました。しかし、太公望を中心とした軍師のもとで、一致団結して、次々に殷の勢力を制圧していきました。

 そして、最後の決戦では、小さな周国の軍隊は、決死の覚悟で殷の大軍に突入したのですが、驚いたことに殷国の兵士は、手をたたいて、周という国を歓迎したのです。それは、自分の国に失望した殷国の兵士たちが、王の堕落ぶりに嫌気がさし、安定した豊かな生活を夢見て自国を見捨てた瞬間であり、血を一滴も流さずに、小国が大国に勝利した奇跡の瞬間でした。

 紂王は、その様子を遠くから眺めつつ、自戒の念と共に自殺したのです。その後、周国は、治安に優れた、平和で豊かな国を実現していったのです。

 周国では刑法というものが一切存在しなかった歴史上、ただ一つの国といわれており、孔子が理想とした国の姿が、実はこの周国だったのです。

 以上が、『封神演義』のあらすじではありますが、実際にはこの殷国と周国との壮絶な戦いの中に、数多くの王族や大臣、傭兵、女性たちが登場することになります。

これらの登場人物が亡くなったあと、それぞれ個性豊かな星として命名され、神の称号を共に封印されたので、『封神演義』と呼ばれるようになったのです。