■豊臣秀吉の鑑定事例(四柱推命)

織田信長というカリスマが亡くなったあと、後継者認定作業は困難を極めました。そこで秀吉は思案しました。内ゲバをやっていたのでは天下を失う。毛利あり、上杉あり、北條ありと織田の天下は四方を敵に囲まれているのだから、血を流さずして後継者の認定をうけないと意味がないと決断したわけです。

共通の敵は信長を殺害した明智光秀です。

そこで最初に動いたのは毛利との和解です。明智光秀はまず、毛利に連絡をとって秀吉をはさみうちにしよう。天下をとったら、半分やるから、これくらいのことは光秀ならやると読んだのです。

次に動いたのは味方をあざむくことです。毛利との戦いで苦戦しどうにも動けないというデマを流したのです。味方はよもや秀吉が光秀と戦うことはないと安心しきったのです。最後に光秀をどう破るか?を思案しました。光秀は齋藤道三から鉄砲隊の育成を伝授され、武田信玄からは騎馬隊の育成を訓練され、鉄砲と騎馬が抜群に強い。いっぽうで秀吉の軍勢は野武士の荒くれです。つまり腕力はあるが技術がないわけです。だから、秀吉自身が「おとり」になって、光秀の軍勢の技術が通用しない山岳の戦場に誘導しないと勝てないと考えたわけです。

それで加藤清正だけをつれて京都にはいりわざと見つかり、馬に乗って逃げたのです。光秀の4人の名将は手柄がほしいわけですから、いっせいに秀吉を追うわけですが、秀吉の馬は日本一の駿馬。追いつけそうで追いつけない。深追いしているうちに天王山まで行って、やぶのなかから野武士の軍勢があらわれてコテンパにたたいたわけです。これが「天王山の戦い」です。


見事な計画ですね。こんな緻密な計画を練れるのは、四柱推命でいうと、十干の○○という星があるからなんです。

実際、秀吉と同じ○○という星をもっている人は、こんな緻密な計画が大好きです。とても筆者はついていくことができないくらい緻密です。だから○○という星をもった人と会うとき、この人はどんな秀吉的な発想をするのだろうという思いで観察するのが楽しみなのです。

いかがでしょうか。こんなふうに、一つの星を深く深く人生ドラマで探求していくことが、運命学の習得の早道なのです。活字を丸暗記したとしても、運命学は使えません。

生きた運命学は、生きた人生ドラマの探求からスタートしなければなりません。あなたの運命学は生きてドラマを演じているでしょうか?